· 

8月6日・9日の本質

今日は広島の74回目忌
当時中国地方総監だった祖父は崩れた官舎の下敷きになり
そのまま焼かれた。父もガレキに埋もれたものの救出された。

その後父は、一見ふつうの(?)生活を送ったものの

被爆後39年目にがんを発症、翌年他界した。(享年56)

このような個人的事情があるため、私は子どもの頃から

ヒロシマ・ナガサキ問題や核軍縮・廃絶について思いを
めぐらせてきた。

 

そんな私が気になっていること、マスコミ報道のルーティン化!
ストーリーの主人公は違えど、毎年「1945年に何が起きたか?」ばかりやっている。
そして、8月9日を過ぎれば、報道はパッタリやみ、内容は忘れられていく。
 

しかし、なぜ毎年、各国要人を招いて平和祈念式典を開くのか?
正しい戦争、良い兵器などがないなかでなぜ“特別な日”になっているのか?

 

私のたどり着いた一つの答えは「特に悪性度の高い兵器だから」
何が「悪い」かと言えば、放射線が長期に、世代を超えて人を殺傷するから・・・

 

他の空襲でも失った家族や財産が元に戻らず、心の傷も癒えないが、
火傷などは治癒すればそれで一応終わり

しかし、核兵器の場合、表面の傷が癒えたとしてもそれでは終わらない、
時間が経ってもジワジワと体を蝕み続ける。影響が少なくなるどころか
むしろ大きくなったりもする。

 

実はこの本質的差異、被爆者は差別へのおそれと対策への諦めから

固く口を閉ざしているため、ほとんど知られていない。
だからこそ、マスコミは核兵器の他の兵器との根本的違いをもっと探求し

世に問いかけて欲しい。

そうして始めて、再びの「核爆弾投下」を防ぐことができるから・・・